べらぼうの中では、時の将軍、徳川家や御三卿が登場します。
その御三卿と蔦屋重三郎はどんな関係があったのか、見ていきましょう。
1.蔦屋重三郎と徳川御三卿との関係は?
蔦屋重三郎と徳川御三卿との直接的な交流や関係性について、明確な記述はありませんが、接点として何点か考えられます。
1.時代背景の共有
蔦屋重三郎と御三卿は、ともに江戸時代後期に活躍しており、同じ時代の文化や政治的背景を共有していました。
2.文化への影響
蔦屋重三郎は出版を通じて江戸文化の発展に貢献し、御三卿も将軍家に近い立場から文化的な影響力を持っていた可能性があります。
3.政治との関わり
蔦屋重三郎の活動は、時の政治情勢にも影響を受けていたと考えられ、御三卿が関与していた幕府の政策とも無関係ではなかったでしょう。
2.徳川御三卿とは?
徳川御三卿とは、江戸時代中期に創立された徳川将軍家の一門で、3つの家から構成されています。
徳川御三卿の設立の背景とは?
徳川吉宗が、将軍家と御三家の血縁関係が薄くなっていることを懸念し、自身の血筋で将軍家を継続させるために設立しました。
そして、将軍家に後継者がいない場合の「スペア将軍候補」として、御三卿から適任者を選ぶことができる体制を整えました。
・将軍家の庶子の待機所
適当な養家となる大名家が現れるまでの間、将軍の庶子を待機させておく仕組みとして始まりました。
・幕府の政権基盤強化
御三卿は将軍の補佐や幕府の運営にも関与し、徳川幕府の政治基盤を強化する役割を果たしました。
・御三家の勢力抑制
従来の解釈では、御三家の勢力を抑えるために興したとする見方もありました。
これらの背景により、徳川吉宗が8代将軍の時代に御三卿が設立され、将軍家の安定した継承と幕府の運営を支える重要な役割を担うことになりました。
徳川御三卿の3つの家とは?
・田保徳川家
家祖は徳川宗武(第8代将軍徳川吉宗の三男)
・一橋徳川家
家祖は徳川宗尹(第8代将軍徳川吉宗の四男)
・清水徳川家
家祖は徳川重好(第9代将軍徳川家重の次男)
徳川御三卿の主な特徴と役割は?
1.将軍家の血筋を守る
御三卿は、将軍家に後継ぎがいなくなった場合の「スペア将軍候補」として設立されました。
2.江戸城近くに居住
大名として藩を持たず、江戸城のすぐそばに屋敷を構え、いつでも将軍家のバックアップができる状態にありました。
3.参勤交代の義務なし
御三家とは異なり、参勤交代の義務がありませんでした。
4.幕府運営への関与
将軍の補佐や幕府の運営にも関与し、徳川幕府の政権基盤を強化する役割を果たしました。
5.将軍輩出
一橋家からは第11代将軍徳川家斉や、最後の将軍・徳川慶喜が誕生しました。
徳川御三卿は、徳川将軍家の血統を守りつつ、幕府の安定した政権運営を支える重要な役割を果たしました。
3.徳川御三家と徳川御三卿の違いとは?
御三家 | 御三卿 | |
設立時期 | 江戸時代初期(1616年頃)に設立 | 江戸時代中期(1745~1759年)に設立 |
構成 | 尾張、紀州、水戸の三藩 | 田保家、一橋家、清水家の三家 |
領地 | 独立した藩として領地を持つ | 藩を持たず、江戸城近くに屋敷を構える |
参勤交代 | 参勤交代の義務あり | 参勤交代の義務なし |
独立性 | 将軍家から独立した大名家として 扱われる | 将軍家の身内として扱われ 独立性が弱い |
役割 | 投手不在の場合、改易や取り潰しの 可能性あり | より直接的な将軍家のサポート役、 将軍家や他の大名家への養子提供 |
政治的地位 | 江戸城内で老中や大老より上位の席次 |
これらの違いから、御三卿は御三家よりも将軍家により近い存在として機能し、幕府の政権基盤強化に重要な役割を果たしました。
まとめ
蔦屋重三郎と徳川御三卿は、ともに江戸時代後期に活躍しており、同じ時代の文化や政治的背景を共有していました。
蔦屋重三郎は出版を通じて江戸文化の発展に貢献し、御三卿も将軍家に近い立場から文化的な影響力を持っていた可能性があります。
蔦屋重三郎の活動は、時の政治情勢にも影響を受けていたと考えられ、御三卿が関与していた幕府の政策とも無関係ではなかったことが言えます。